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息子のPMF

PMF(パシフック・ミュージック・フェスティバル)のピクニックコンサートに、久しぶりに行って来ました。場所は、札幌芸術の森。天気も良く(ちょっと良過ぎて暑かった…)野外でのコンサートにはうってつけでした。オープニングの大役を息子が所属している伏見中学校の吹奏楽部が務めるというので最初から聴きたかったのですが、仕事のため間に合わず…。最初から聴くことの出来た妻によると、なかなかの名演だったとか。曲目は、ガーシュインの「ポギーとベス」。間近に迫ったコンクールの自由曲です。息子はティンパニの担当。この日は、PMFのオーケストラが使用していた特別仕様の皮のティンパニを叩かせてもらえたのだとか…ご満悦でした。

 

私は後半のプログラムから楽しみました。小編成のオーケストラによるワーグナーの「ジークフリート牧歌」、それからドビュッシーの「神聖な舞曲と世俗的な舞曲」と続き、最後を締めくくったのはマーラーの「交響曲第7番」でした。指揮者が当初予定されていた人から変更となって、なんと今を羽ばたくワレリー・ゲルギエフが登場!生のゲルギエフを初めて見ました。しかも、空調の聴いたコンサートホールの席からではなく、野外の芝生の上で!ゲルギエフも黒い燕尾服ではなく、団員と同じグリーンのTシャツというラフな格好でした。マーラーの音楽は、しばしばいろいろな生活音が表現されていますが、ピクニックコンサートでは芸術の森に住む鳥や蝉の鳴き声、また風のざわめきが音楽と混じり合い、なんとも心地よかったです。

 

このピクニックコンサートに先立つこと1週間前、伏見中学校はPMFの教授陣たちから指導を受ける幸運にも恵まれました。教授陣たちはいずれもアメリカを代表するオーケストラのトッププレイヤーばかり。題して「PMFアメリカ・メンバーによる吹奏楽セミナー」です。教授陣の顔ぶれは、サンフランシスコ交響楽団のトランペット奏者、メトロボリタン歌劇場管弦楽団のトロンボーン奏者、そしてシカゴ交響楽団のティンパニ奏者、あともう一人どこか忘れましたがなんともふくよかな音を鳴らすホルン奏者でした。最初に一度、子どもたちが演奏するのを通して聴いた教授陣たちは、Marvelous!を連発。多分にリップサービスもあるのでしょうが、けっこう真顔で、中学生でこれだけのレベルで弾けるバンドは聴いたことがない!自分も中学生の時、こんなにうまいバンドで演奏したかった…と口々に言っておられました。息子もティンパニの先生から、大きな手振りでグッドサイン。PMFアメリカの先生方が言われることが本当なら、今年も全道大会まで行けるかな?

 

吹奏楽コンクールは、いよいよ今週末。それまでは、連日夏休み返上で、朝も昼も夜も練習です。指導される顧問のN先生も相当気合いが入っていますし、その厳しい指導についていこうと子どもたちも必死です。その努力が報われればもちろん嬉しいことですが、何よりも大切なことはPMFアメリカの先生たちも言っておられたように、自由に、楽しく、リラックスして演奏すること!ま、それが一番難しいんだけどね。さて、結果はいかに?

author:日笠山吉之, category:-, 18:04
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母の日に

今日は、母の日。札幌礼拝堂では、例年のように「母の日・家族礼拝」が行われました。あいにくの雨模様だったので出足が心配されましたが、ぞくぞくと子どもたちとそのお母さん、お父さん、また教会員の方々が来られ、会堂はあっという間に満席に!数えてみると、ちょうど100名の出席者でした。礼拝が始まる前はワイワイガヤガヤしてましたが、前奏のオルガンが始まった途端にシーンと静かに。さすが、めばえ幼稚園の子どもたちと卒園生たちです。礼拝の大切さが身に染み付いているのですね。説教も短めに、分かりやすく…と心掛けたつもりですが、いかがだったでしょうか?最後まで真剣に聞いてくれたこどもたちでした。老いも若きもみんなで一緒に御言葉を聞き、声を合わせて讃美歌を歌い、頭を垂れてお祈りをささげる群…それはこの世に「教会」しかないでしょう。牧師として、礼拝の最後に皆さんに祝福の祈りをささげるたびに、いつも感動を覚えます。今日は、その感動もひとしおでした。

 

礼拝後は、お母さん方に「栞」のプレゼント。今年も聖書の御言葉が書かれた栞を選ばせていただきました。ピンク、オレンジ、ブルーの花柄の栞に御言葉が書かれていて、どれもなかなか素敵です。中でも私の一番のお気に入りは、ゼファニヤ書3章17節の御言葉が書かれたピンクの栞。そこには、こう書かれています。「主は、喜びをもってあなたのことを楽しみ、その愛によって安らぎを与える」と。何か壁にぶつかるとすぐ自己嫌悪に陥り、上手くいくとまるで自分の手柄のように鼻を高くしてしまう私たち。そんなどうしようもなく罪深い者であっても、神は喜びをもってそんな私を楽しんでくださる!神の大いなる喜び、神の深い愛に包まれている私たちなのです。嬉しい御言葉ですね。

 

さて、そろそろ今夜の夕食の準備に取りかからなければなりません。母の日ということで、息子が大好きなお母さんのためにカレーライスを作るというので、私も負けじとマカロニサラダで対抗します。さきほど近くのスーパーに二人で食材を買いに行ってきたので、準備は万端。さて、勝利の軍配はどちらに?この世のすべての家庭の中で、「お母さん、いつもありがとう」「こちらこそ、ありがとう」という母と子の会話が交わされる一日となりますように。

 

author:日笠山吉之, category:-, 17:12
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新しい門出

この3月に高校を卒業した娘が、地元のH学園大学に入学しました。入学式の日は私もちょうど休みの日だったので、妻と春休み中の息子と一緒に出席してきました。会場に入ると、威勢のいい応援団のエールや華やかな吹奏楽団の演奏がお出迎え。吹奏楽部の息子は、興味津々聴き入っていました。式が始まると一転して厳粛な雰囲気に。まず、学長による入学許可宣言がなされました。今年の入学者数は、学部生が2090名、大学院生が30名。その中の一人に娘もいるんだなと思うと、感慨深いものがありました。続いて、学長による式辞。大学生として自立と自律を促し、北海道の開拓者精神を忘れずに果敢に勉学に励まれるように、との力のこもった式辞でした。それから、学部長や来賓の紹介があり、最後は学歌と学生歌と新学生歌の3曲で締めくくり。時間にして1時間足らずの簡潔な入学式でしたが、出席してよかったなと思いました。

 

娘が在籍するのは、人文学部の第2部。第2部とは、いわゆる夜間部です。日中はアルバイトをして働き、夜は大学に通って勉強する道を選びました。地元の大学で家からも通えるので昼間の第1部でもいいのでは?と言いましたが、本人は一日も早く社会に出て働きながら勉強をしたかったようです。親としても本人の意思を尊重することにしました。ただ、アルバイトで疲れてしまって、肝心の講義の時間に居眠りしてしまわないか心配ですが。大学生になっても皆勤賞で無事4年で卒業できることを願うばかりです。中高一貫校で過ごした6年間の間、1度も遅刻・欠席がなく表彰された娘のこと。大学もその調子で頑張ってくれるかな?

 

振り返って、私が大学生となったのはかれこれ30年以上も昔のことです。専門だった音楽にどっぶりと浸り、学び、そして遊んだ4年間でした。同じ志をもつ仲間たちに囲まれていたので、互いに切磋琢磨しながら学び、音を紡ぎ出す毎日でした。本当にかけがえのない4年間でした。生涯の友と呼ぶべき親友たちもこの大学時代に与えられました。娘には、そのような友や仲間も見つけて欲しいです。夜間部ですから、すでに社会人として活躍されている人生の先輩もいることでしょう。よき出会いがありますように。

author:日笠山吉之, category:-, 12:08
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結婚式

1月は行き、2月は逃げ…とはよく言ったもので、明日からもう3月。あれだけ盛り上がった平昌オリンピックも終わってしまいました。このままだと3月もあっという間に去ってしまいそうなので、久しぶりにブログの更新です。それにしても、このたびのオリンピックでは、道産子女子の活躍が目立ちました。ジャンプの沙羅さん、スケートの高木姉妹、そしてカーリングの北見LSの選手たち…メダルおめでとう!そして、ありがとう。若い人たちが頑張っている姿を見ると、おじさんの域に達している私も負けずに頑張らなくては!と思います。

 

我が家にとって2月はもう一つおめでたいことがありました。義弟が良縁に恵まれ、結婚式を挙げたのです。良縁という言い方はクリスチャンのお二人にはふさわしくないでしょうか。神の導きによってお二人は出会い、共に祈りつつ愛を育み、この日を迎えることができたのだと思います。我が家の子どもたちも義弟には生まれてこのかたさんざん可愛がってもらってきたので、結婚式には家族全員が招待されました。

 

義弟が式を挙げた教会は、神戸聖愛教会。義弟や妻がかつて家族そろって通っていた教会です。したがって、妻と私の結婚式もこの教会でお世話になりました。それはもうかれこれ20数年前のこと…お互い学生結婚のようなものだったので、披露宴とはいっても教会の集会室を借りて紅茶とケーキしかふるまうことができませんでした。それでもそれぞれの親族をはじめ先生方やたくさんの先輩、友人たちが来てくれました。今でもつい昨日のことのように思い出されます。

 

私たちの披露宴では友人たちが入れ替わり立ち替わり音楽やスピーチをしてくれましたが、最後に私と妻も1曲披露しました。曲目はシューベルトの「軍隊行進曲」。言わずと知れたピアノ連弾曲です。披露宴にはお互いのピアノの先生も来てくださったので冷や汗ものでしたが、大きなミスもなくなんとか最後まで二人で弾き切ることができました。その「軍隊行進曲」を、このたび妻と20数年ぶりに再演しました。義弟から音楽の出し物の依頼があったからです。部活で共にパーカッションに励んでいる娘と息子は、カフォンで参加。中間部の静かな部分は休んでもらいましたが、それ以外のにぎやかな部分は子どもたちのカフォンで盛り上げてもらいました。というわけで、今回の演奏は家族4人での「軍隊行進曲」となりました。ピアノとカフォンの相性もよく、楽しかったです。何よりも新郎新婦が仲睦まじくほほ笑みながら聴いてくれて、嬉しかったです。私たち夫婦もピアノを連弾する時のように、お互い主張すべきところは主張し、譲るべきところは譲り、息を合わせて、朗らかにこれからの結婚生活も送りたいなと思いながら、家路につきました。Hくん、Nさん、本当におめでとう!

 

 

 

 

author:日笠山吉之, category:-, 15:30
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名曲喫茶ウィーンに寄せて

前回のブログの更新から、はや3ヶ月。季節は夏からあっと言うまに冬となり、大晦日となってしまいました。公私ともにいろいろ忙しくてなかなかブログを更新できていませんが、せめて2017年の最後にひとことご挨拶を。今年もこの拙いブログを読んでくださり、ありがとうございました。ポコアポコどころかここのところリタルダンド気味のブログですが、フェルマーターとなって停まってしまわないように、来年はまた少しずつテンポを戻して定期的に更新できればなあ…と思っています。これからもよろしくご愛読ください。

 

さて、年の暮れに一仕事終わると決まって行っていた狸小路の名曲喫茶「ウイーン」が、昨日で閉店しました。寂しい限りです。「ウイーン」はおそらく札幌に残っていた唯一の名曲喫茶でしょう。我が家からも散歩がてら歩いて行ける距離だったので、暇さえあれば行っていました。近くには、これまたお気に入りの映画館「シアターキノ」があるので、映画を見た後にウィーンに立ち寄って、一杯のココアをすすりながら、音楽に身を委ねるのが私の最も充実した休日の過ごし方でした。その「ウイーン」がなくなってしまうとは…これからどうやって休日を過ごそう…。

 

もちろん我が家にもそれなりにCDはあるし、自分でココアを入れることができないわけでもありません。しかし、「ウイーン」はやはり特別な場所でした。にぎやかな狸小路の中で隠れ家のようにひっそり佇んでいる店のたたずまいがなんとも良かったし、店の扉を開けたとたんに耳に飛び込んでくる音の洪水がまた圧巻でした。年季の入ったソファーやテーブル、そしてなんといっても眼前に置かれた巨大なスピーカーの存在感たるや!店内に流れる音楽はマスターが決めていたようなので、自分にとって好みの曲もあればそうでない曲もありましたが、とにかくそこに身を置いているだけで幸せでした。ちょっと甘めのココアも、おいしかったし。

 

今月いっぱいで閉店してしまうと聞き、2回行ってきました。いつもはガラガラなのに、閉店することを聞き付けた馴染みのお客さんが続々と押し寄せたのでしょう。2回ともほぼ満席でした。最後に行ったのは、一人ではなく教会の青年と一緒に。彼もクラシック音楽が好きなので「行ってみる?」と誘ってみたら、喜んで付いて来てくれました。運良く真ん中のいちばんいい席が空いたので一緒に座り、いつものようにココアを注文。彼はブレンドコーヒーでした。お互い何もしゃべらず、黙って目をつむり、シューベルトの最後の交響曲「グレイト」を最初から最後まで聴きました。店を出る時の彼の満足そうな顔!「いやあ、至福の時間でした。ありがとうございました」と言って、それぞれの家路につきました。

 

以下、今月の教会の月報に寄稿した「音楽の花束」から。それでは、皆さんよいお年を!

 

 

「ウイーンに寄せて」

札幌教会牧師 日笠山吉之

 

 狸小路の7丁目にある名曲喫茶「ウイーン」が、とうとう今年いっぱいで閉店することになりました。ここのところ私の行きつけだった居酒屋やスープカレー店が次々と閉店して意気消沈していましたが、まさか「ウイーン」までとは!一番のお気に入りの喫茶店だったのに…寂しくてなりません。

 ウイーン閉店という(私にとっては)衝撃的なニュースを最初に教えてくれたのは、妻でした。閉店を告げる新聞記事をしげしげと眺めてすごすごと札幌北礼拝堂の「聖書を読む会」に行くと、早速その記事を切り取ってきてくださった姉妹が待ち構えておられました。その心遣いに感謝しつつも、私の気持ちは落ち込むばかり…まるで愛していた恋人に突然別れを告げられたような気分です。

 名曲喫茶とは、クラシックの名曲がたえず流れている喫茶店のことです。かつては、ちょっとした街ならどこにでもありました。そう、大学時代を過ごした広島にも、教師として働いていた大阪にも、神学生の頃によく通った三鷹や荻窪にも…札幌にも昔は何軒かあったそうです。しかし時代の流れにあらがえず、次々に姿を消していきました。そもそも喫茶店自体が減っているのですから、クラシック音楽を流すことにこだわった名曲喫茶が存続して行くことは並大抵のことではなかったのでしょう。「ウイーン」も札幌の名曲喫茶としては最後の砦だったわけです。

 名曲喫茶ウイーンは、1959年に現在地に開店しました。開店してまもなく札幌交響楽団が発足し、店は団員や学生、会社員らでにぎわったそうです。それが70年代に入ると娯楽が増え、客足が少しずつ遠のき始め、店主も開店30年を節目に一度は閉店を考えたとのこと。それでも、常連客からの「やめないで」の声に励まされて、なんとか頑張ってこられたそうです。子どもの頃から病弱で、ラジオから流れてくるクラシック音楽を聴くことだけが唯一の楽しみだった店主さんだったゆえに、ここまで続けることが出来たのでしょう。店内の椅子もテーブルも開店当時のまま、トイレはいまだに懐かしい汲み取り式です。それでも巨大なスピーカーから流れ出る音は、まるで目の前で生のオーケストラが演奏しているかのよう!この音の洪水に浸りたくて、私も暇を見つけてはウイーンに立ち寄っていました。甘いココアを一杯だけ注文して、時間のゆるすかぎり。

 ウイーンの閉店の理由は、店主さんの体調が思わしくないからだそうです。時々お目にかかっていたダンディな店主さんも、もう既に83歳のお年なのだとか。つまり開店から実に58年にもわたってこの店を守ってこられたわけです。なかなか出来ることではありません。店主さんには、まずは感謝の念をもって「お疲れさま」と言うべきなのでしょう。

 店主さんは、今年いっぱいでの閉店を決心したものの寂しさは日々募る一方だそうです。「正直なところ、お客さんが一人もいなくなっても、ずっとこの店で音楽を聴いていたい」と、インタビューに答えておられます。それなら、私も一緒にまだまだ聴かせてくださいよ!ココアはなくても構いませんので!

 

author:日笠山吉之, category:-, 14:45
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娘と息子の夏の陣

部活に明け暮れた息子の夏が終わりました。今春中学生となった息子が入部したのは、吹奏楽部。小学校でもスクールバンドに所属していたので、中学校に入学するやいなや先輩たちから誘われたようです。打楽器ならひととおり叩けるというので、即戦力を買われたのでしょう。夏のコンクールの舞台に上がれるのはほとんどが中学2、3年生ですが、息子は1年生ながらメンバーに選ばれました。息子が通うF中学校の吹奏楽部は、いわゆるコンクールの常連校ではありませんが、人数は50名を越える大所帯です。おそらく音楽好きな生徒が多いのでしょう。B編成で出場したので、舞台に上がったのは上限の35名。今年は顧問の先生も交替したばかりなので、地区大会で金賞をとれれば上出来だ…と、子どもたちも先生も思っていたようです。ところが、地区大会では金賞を受賞しただけでなく、全道大会への切符も手にしました。慌てたのは、顧問の先生!?夏休みは、家族水入らずで海外旅行の計画を立てておられたのに、あえなくキャンセル。地区大会で終わっていれば、先生も子どもたちも夏休みはゆっくり出来たでしょうに。

 

私は地区大会も全道大会も、幸いなことに妻と一緒に聴きに行くことができました。どちらもF中学校の出番が平日の午後〜夕方にかけてだったことと、会場が近くのキタラだったので、仕事の合間に駆けつけました。B編成での出場なので、演奏は自由曲のみ。今夏F中学校が選んだ自由曲は、バルトークの『舞踏組曲』でした。まず、その選曲にびっくり!顧問のN先生が決められたそうですが、変拍子が頻出するこの難曲を中学生に演奏させるとは!!ほんとに演奏出来るの???と、半信半疑で8月5日に行われた地区大会を聴きに行ったところ、生徒たちは先生の棒にしっかりと食らいついて、見事に演奏しました。息子も、バスドラムにティンパニ、マリンバ、ビブラフォン…と忙しく移動しながら、先輩たちに混じってパーカッションを担当。すごいなあ…これは金賞だろう…と思いきや、図星でした。しかも、金賞の中でも好成績だったので、全道大会への出場権まで獲得しました。それからというもの、夏休み返上で毎日練習につぐ練習…休みになったのはお盆の間の3日間だけ。毎日弁当持参だったので、妻も一日も欠かさず弁当を作り続けました。

 

そうして迎えた全道大会。中学校のB編成は、先週の土曜日に地区大会と同じキタラで行われました。音響の素晴らしいキタラの大ホールで、ひと夏に2回も演奏できるというだけで単純に喜んでいた息子…そう、中高一貫校で6年間も吹奏楽漬けだった娘は、とうとう一度も全道大会には行けずじまいでした。高校3年生の娘は、今夏が最後のコンクールでした。しかし、念願の金賞受賞とはなりませんでした。それでも、全道大会に出場した弟の演奏を聴くために、学校が終わるやいなや爆チャリ(自転車を猛烈に飛ばしたらしい)でキタラに駆けつけてくれて、「良い演奏だったよ」と素直に褒めていました。もとはといえば、娘が先に吹奏楽部で打楽器を始め、それを見た息子もスクールバンドに入部し、同じ打楽器を選んだのでした。いわば娘に刺激を受け、教えてもらいながら、上達した息子なのです。娘にとっては、自分が果たせなかった夢を弟があっという間に果たしてしまい、くやしいのか、嬉しいのか?いずれにしても、パーカッションを通じて姉弟の絆が深まったことは確かでしょう。それこそが、親として何よりも嬉しいことです。

 

全道大会は、北海道各地の地区大会を勝ち抜いた強豪校ばかりが出場するので、当然のことながらハイレベル。こりゃ、ほとんどみんな金賞じゃないの?と思って聴いていたら、ちょうど私が会場に駆けつけて聴き始めた学校あたりから金賞が続きました。息子のF中学校も、金賞。しかし、2校しか選ばれない東日本大会への出場権は獲得できませんでした。私は、ひょとするとF中学校は東日本大会では?と思っていましたが…親のひいき目でしょうか。そのくらい、全道大会も素晴らしい演奏をしてくれました。実は、本番直前、ヒヤッとしたことがありました。というのも、先生が指揮棒を今にも振り下ろそうかという時になって、ビブラフォンの前に立っていた息子が突然手を挙げ、パートリーダーが先生にストップをかけたからです。何事か?と思いきや、どうやらビブラフォンのコンセントが入っていなかったとのこと。スイッチを入れてもモーターが作動しないことに、息子が気付いたそうです。モーターが動かないと、ビブラートがかかりません。会場係の人が慌てて舞台に出て来てコンセントを繋ぎ直し、先生も指揮台から降りて来られ、ビブラフォンの作動を確認した上で、演奏が始まりました。息子よ、よく気がついた!なかなかの舞台度胸じゃないか!それだけ落ち着いていれば、演奏も大丈夫だ!そう心の中で語りかけながら、安心して演奏に聴き入ることが出来ました。

 

かくして、娘と息子の夏の陣は終わりました。二人とも、おつかれさま。そして、ありがとう。

 

 

 

 

author:日笠山吉之, category:-, 16:29
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キ保連の夏期講習会にて

先週の7月25日〜27日にかけて、キリスト教保育連盟(キ保連)の夏期講習会が札幌の京王プラザホテルにて開催されました。今年で第88回目といいますから、人に例えると米寿−歴史と伝統のある講習会です。キ保連は、その名が示しているようにキリスト教保育を掲げている全国の幼稚園や保育園が加盟しています。我がめばえ幼稚園も、然り。今年は、地元札幌で行われたので、幼稚園の先生方も全員が参加しました。参加者数は、全部で799名!南は沖縄から北は北海道まで、たくさんの幼稚園の先生方が来られました(スタッフや講師も含む)。私は2日目の朝の礼拝を担当しました。4つの分科会に分かれた上での礼拝だったとはいえ、200名もの先生方を前にしての礼拝はさすがに緊張しました。礼拝のために選んだ賛美歌も、ルーテル教会以外では知られていない賛美歌だったので皆さんが歌えるかどうか心配でしたが、そこはさすが幼稚園の先生方!私が最初に1節を歌って先導しただけで、すぐに後からついてきて歌ってくださいました。

 

講習会の数日前に、参加者名簿が掲載された栞が送られてきました。北海道から順番にぱらぱらめくってみると、ルーテル教会関係の幼稚園や保育園もちらほら見受けられ、ちょっと安心。でも、参加者の名前まではさすがに知る由もありません。誰も知った人はいないだろうなあ…と思いながら、それでも九州まで目を通してみると、あった!我が家がかつて宮崎に住んでいた時に、娘が通っていた幼稚園で当時人気ナンバーワンだったK先生の名前(現在は他の園の園長先生)が、確かに書かれているではありませんか!嬉しくなって妻や娘にも伝えると、「私たちもK先生に会いたい!」と絶叫。しばし娘の幼稚園時代の話に花が咲きました。そう、今でこそ社交的で友達もたくさんいる娘ですが、幼稚園の頃は内気で、私が毎朝自転車に娘を乗せて連れて行っても、いざ幼稚園に到着すると泣きじゃくって、なかなか園の中に入ろうとしなかったのでした。そんな娘や、父親である私のことを、果たしてK先生は今でも覚えておられるでしょうか?もうすっかり顔も名前も忘れられているかも…とも思いながら、当日を迎えました。

 

しかし、そんな心配は杞憂に終わりました。朝の礼拝が今や始まろうかいうわずか数分前、私が説教壇に上がろう腰を上げた時に、K先生がつかつかと入ってこられ、昔と変わらない爽やかな笑顔をたたえながら手を差し出してくれました。がっしりとした温かい男の手−言葉は交わさずとも、その握手だけで十分でした。実は私もK先生に一目会いたくて、礼拝の前に先生が属しておられる分科会の場所と自分の場所とをしばし行ったり来たりしていたのですが、さすがに10分位前には自分の場所に戻って来て礼拝に備えていたのでした。それが、思いがけず、礼拝の直前にお目にかかることができて…感激のあまり声も出なかったというのが正直なところです。K先生は、しっかりと覚えてくださっていました。おかげで、朝の礼拝もほどよい緊張感に包まれながらも喜びと感謝に満ちて奉仕することができました。札幌と宮崎…場所は離れていても、思いは一つです。イエス・キリストによって、一つにされている幼稚園と教会。その恵みに深く感謝した一日となりました。

 

 

 

 

author:日笠山吉之, category:-, 17:49
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藻岩山に登りつつ

先月末の5月31日は、藻岩山の山開きでした。なぜ、この日が藻岩山の山開きかというと、山の高さが531メートルだからそうです。その日は残念ながら仕事のため登れなかったのですが、山開きに先立ってその数日前に一足先に登ってきました。冬の間、真っ白な雪に覆われていた藻岩山は、いつのまにか鮮やかな木々の緑に変わっていました。春の草花もあちらこちらに咲いていて、鳥たちがにぎやかにさえずり、春爛漫。久しぶりの藻岩山登山に心が躍りました。登山道ですれ違うひとたちも、みなさん浮き浮きしておられます。見知らぬおじさんが私の前でふと立ち止まって、「お兄さんのそのズボン、なかなかいいねえ。どこで買ったの?」。自分では地味だと思っている茶色のズボンを履いていたのですが、ほめられると嬉しいものです。立ち話しが弾みました。

 

なぜ、山開きに先立ってその日藻岩山に登ったかというと、この山をこよなく愛された教会員のSさんが召されて、ちょうどその日で1週間だったからです。初七日というわけではありませんが、私はその日、どうしても登りたいと思いました。なぜなら、藻岩山登山を薦めてくださった方が、このSさんだったからです。数年前、運動不足でメタボ気味だった私にSさんは「先生、山でも登って運動した方がいいんじゃない?藻岩山なら教会からも近いし、手頃だよ。僕なんか、週に1度は仲間と一緒に登ってるよ」と薦めてくださいました。それで一発奮起して、登山用のリュックや靴を買いそろえ、時間をみつけては登り始めたのです。すると、ほんとに体重が減り始め、きつかったズボンも楽に履けるようになり、気分もリフレッシュ…いいことずくめでした。何度かSさんとそのお仲間たちとすれ違ったこともあり、そのたびにSさんは私を「うちの教会の牧師だよ」と紹介してくださいました。来年には米寿を迎えるとは思えない若々しいSさんでした。

 

そんなSさんが、先月半ば地下鉄の構内で突然倒れ、病院に救急搬送され、わずか2日後に亡くなられました。その日も藻岩山に登るため、登山口へ向かっていた矢先のことでした。特に持病もない方でしたので、急病でした。ご家族はもちろんのこと、知らせを受けた私や教会員も呆然としたまま、教会での葬儀を終えました。葬儀ではSさんが愛唱された讃美歌が何曲か歌われましたが、ご遺族の希望により、Sさん自身が作詞された藻岩山の歌も歌われました。作曲者は、私です。半年ほど前にSさんが詩を書かれ、曲をつけてくれるよう頼まれました。曲名は「山の仲間の歌」。以下のような歌詞です。

 

1番:朝日背にうけ山道を 花を見ながら馬の背に

   眼下に町並み見おろして 仲間と楽し藻岩山

 

2番:鳥や蝉の声きいて アップダウンをくりかえし

   入道雲に送られて 仲間と楽し藻岩山

 

3番:落ち葉ふみしめ木漏れ日を 背に受け遠くの山並みよ

   冬の訪れ感じつつ 仲間と楽し藻岩山

 

4番:雪帽かぶる地蔵さん 横目に足あと残しつつ

   汗をふきふき雪かべへ 仲間と楽し藻岩山

 

驚いたことに、Sさんの小学生のお孫さんがこの歌を全部覚えていました。いや、お孫さんだけでなく、ご遺族やSさんの山仲間の方々も知っておられ、葬儀では讃美歌に負けないくらいの大きな声で歌ってくださいました。なんでもSさんはそれらの方々に、出来上がったばかりのご自身の歌を既に紹介しておられたのこと…。私はプロの作曲家でもないのでありふれたメロディーしかつけることができませんでしたが、Sさんはたいそう気に入ってくださり、たくさんの人に譜面をコピーしては配って口伝えで教えておられたようです。Sさんが作られたその歌を口ずさみながら、私も藻岩山に登ってみました。Sさん、聞こえましたか?これからも、Sさんが好きだった「ここは神の世界なれば」(教会讃美歌382番)と、この「山の仲間の歌」を歌いながら、私も藻岩山に登り続けますね。

 

 

 

 

author:日笠山吉之, category:-, 12:26
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「ボワボワ」演奏会

幼稚園の入園の集い、息子の中学校入学式、キリストの受難を覚える聖週間、そしてイースター…と追われているうちに、あっという間に終わってしまった4月。とうとうブログを一度も更新できませんでした。いろいろなことがあった1ヶ月でしたが、一番記憶に新しい一昨日のコンサートを取り上げることにしましょう。

 

4月29日(祝)の夕暮れ時、ここ札幌礼拝堂にて、木の古楽器アンサンブル「ボワボワ」の第1回目の演奏会が行われました。アンサンブルといっても、目下のメンバーは、フラウト・トラベルソを吹く伊藤都章さんとチェンバロの私だけ。伊藤さんとは友人の紹介で知り合って共演したのが最初でしたが、それから何度かアンサンブルを楽しみ、お酒も飲み交わすうちにすっかり意気投合…とうとうアンサンブルまで結成してしまいました。その旗揚げ公演を、伊藤さんが一目惚れした我が札幌礼拝堂で行うことになったのです。伊藤さんいわく、ここ札幌礼拝堂の音響は、ご自身が吹かれるフラウト・トラベルソにとてもよく合っているとか。たしかに、築80年を越えてもなお現役の木造礼拝堂として大切に使われているので、いわば熟成したウイスキーのような柔らかで芳香な響きのする会堂かな?と思います。ですから、毎週日曜日の礼拝以外でも、バロック音楽を演奏される方たちからはしばしば演奏会場として利用されています。このような礼拝堂で、毎週のように説教壇から聖書の御言葉を語ることのできる私は幸せ者なのかもしれません。

 

というわけで、今回はこの慣れ親しんだ礼拝堂で、説教ではなく、伊藤さんと一緒に音楽を奏でることになりました。旗揚げ公演に際して、まずはアンサンブルの名前をつけよう!ということになり、伊藤さんが考えて出してくれたのが「ボワボワ」。私の髪の毛がいつもボサボサ、ボワボワしているので、そこから連想したの?と思わず突っ込みそうになりましたが、そうではなくフランス語の「ボワ」からとったとのこと。なんでも、フランス語では「木」のことを「ボワ」というそうです。伊藤さんが吹くトラベルソにしても、私が弾くチェンバロにしても、どちらも「木」で出来た楽器なので「ボワ」ではどうか?というわけです。さすがは、フランス語のスペシャリスト!しかも、この「ボワ」にはもう一つ「飲む」という意味もあるそうで、音楽と同じくらい「飲む」ことも好きな我々になおさらピッタリではないか?というわけで、「ボワボワ」と命名された次第です。

 

前置きが長くなりました。プログラムは、最初の曲がL.ヴィンチ作曲の『フルートと通奏低音のためのソナタ 二長調」、次にボワモルティエ作曲の『フルートとクラブサンのためのソナタ ト短調』、それからチェンバロ独奏によるD.スカルラッティの「ソナタ イ長調 K.208』を挟んで、J.S.バッハの『チェンバロとフルートのためのソナタ 二短調 BWV527』、最後にC.P.E.バッハの『フルートとチェンバロのためのソナタ ハ長調 Wq.149』で締めました。プログラムは、スカルラッティ以外は、伊藤さんにすべて選んでもらいました。私にとっては初めての曲がほとんどでしたが、どれもそれぞれに個性的で、魅力的な作品ばかりでした。中でも、情熱的なボワモルティエの作品が私は気に入って練習にも熱が入ったのですが、当日聴きに来られた方からは「ヒガサヤマさんにはC.P.E.バッハが合っていますね」と言われました。C.P.E.バッハは、ご存知J.S.バッハの次男。でも、その音楽はバロック時代を代表する父親の音楽を軽々と追い越して、来るべきハイドンやモーツァルトの古典派を先取りしたものです。ですから、C.P.E.バッハの作品を演奏するには、チェンバロではなくフォルテ・ピアノの方がもっと合う筈なのですが…フォルテ・ピアノ、欲しいなあ。

 

この日はコンサートに先立って、札幌礼拝堂の向かいにあるルーテル会館で「オープン・チャーチ」も行われたので、そこに来てくださったお客さんもコンサートに立ち寄ってくださいました。また、伊藤さんが属しておられるリコーダーの愛好家グループの方々もたくさん来られ、会堂はほぼ満席に。たくさんの人々に聴いていただけて、嬉しかったです。コンサート終了後は、もちろん打ち上げ。何せ我々は「ボワボワ」なのですから。翌日の礼拝に差し支えない程度に、とはいえかなりのビールと日本酒をボワボワしました。次回の演奏会についても話が盛り上がり、今回のプログラムの後半で取り上げたJ.S.バッハと息子たちの作品を取り上げよう!ということになりました。半年後くらいに出来るでしょうか?その節は、どうぞまたお越しください。

 

author:日笠山吉之, category:-, 11:46
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卒園式そして卒業式

一昨日、めばえ幼稚園の第81回目となる卒園式が行われました。園舎の入口で、登園してくる年長さんを迎えることが出来るのもこの日が最後。この日ばかりは特別なオシャレをした子どもたちが、ご家族の手にひかれてニコニコと、そしてちょっぴり誇らしげに登園してきました。めばえ幼稚園の卒園式は、礼拝から始まります。礼拝の担当は、私の役目。子どもたちと一緒に讃美歌を歌い、お祈りをささげ、聖書(ルカ福音書2章52節)を読みました。少年時代のイエスさまが神と人とに愛され、知恵が増し、背丈も伸びたように、みんなもますますたくさんの人から愛されて、大きくなれますように…とエールを送りました。私の拙い話を真剣に聞いてくれる子どもたちの眼差しと、時折フッと緩むあどけない笑顔…牧師をしていて良かった!と思える瞬間です。それから、プログラムは保育証書の授与へと移ります。一人ずつ名前を呼ばれると「はい」と大きな声で返事をして、前に進み出て、きちんとお辞儀をして園長先生から証書を受け取る姿は、もう幼稚園生ではありません。その立派に成長したわが子の姿を見て、既に親御さんたちは目を潤ませています。それから、園長先生、教会役員、理事長先生の印象的な挨拶があり、最後は「思い出のアルバム」。年少さん、年中さん、年長さん、そして幼稚園の先生たちが、交互に声を合わせて、思い出のひとこまひとこまを交わし合うのです。最後に、年長さんが「さようなら ぼくたちのようちえん」を歌うと、もう親御さんたちの涙はとめられません。先生たちも思わず涙、涙…こうして、今年もめばえ幼稚園の卒園式が幕を閉じました。

 

めばえ幼稚園の卒園式の翌日、つまり昨日は、息子が6年間通った小学校の卒業式でした。最近の小学校の卒業式の服装は、男女とも袴が多いらしい…と噂には聞いていましたが、本当でした。男の子でも半分以上、女の子はほとんどが袴姿でした。着付けや髪の毛のセットまで含めると、いったい幾らかかるのでしょう?たとえ袴でなくても、ほとんどの子どもたちがこの日のために新しい服を新調したようです。ところが我が家の息子は、学習発表会の時に着用した服装でいい…というではありませんか!なんという親孝行!おそらく我が家の懐事情を薄々と知っているのでしょう。息子が準主役を演じた小学校最後の学習発表会についてはこのブログにも書きましたが、その時の服装というのも特別に新調したものではなく、教会のバザーで格安に手にいれたもの−子ども用の小さな青色のタキシードでした。その時は、役に応じて私の黒い蝶ネクタイをつけたのですが、今回も私が愛用しているネクタイで構わないとのこと。せめてネクタイくらいは新しいものを買ってあげよう…と思っていたのですが、おことばに甘えて、私のお古を使ってもらいました。色は青でタキシードに合うのですが、大人用なのでサイズが大きく、まるで胸いっぱいにネクタイがかかっているかのよう…それでも、本人はご満悦で卒業式に臨んでくれました。

 

担任の先生から一人ずつ名前を呼ばれ、壇上に立ち、校長先生から卒業証書を受け取って自分の席まで戻る一連の行動は、この日、会場に集まった全員が見ています。その張りつめた緊張の中で、息子はよくとおる声で「はい」と返事をし、校長先生からしかと卒業証書を受け取るやいなや、くるっと回れ右…その瞬間、タキシードの裾が舞い、思わずみとれてしまいました。そんな親の視線に気付く由もなく、息子はあっというまに自分の席へ戻っていきました。

 

体育館での卒業式が終わった後にも、さらなる感動が待っていました。担任の先生と一緒にそれぞれのクラスに戻って行った子どもたちが、一人ずつ前に進み出て先生にお礼の言葉をいいながら、チューリップをプレゼントしたのです。先生は、号泣。チューリップの花束に埋もれながら、先生はこどもたちが書いた最後の作文を涙声で読み始めました。最初に読まれたのは、息子が書いた文章。「この作文というドラマは、今回で最終回です。みんなの作文がおもしろかったり、感動したり、すごく熱いことを書いていたり、たくさんの話がありました。5年生に続き、続編ということで6年生もありました。それから31話をもちまして終了することは悲しいです…たくさんの友達、今まで本当にありがとうございました。笑って、遊んで、話をして、そんな最後の1年(5年生も)の2組楽しかったです…印象深いのは学習発表会です。こんなにセリフが多い役は初めてでした。でも、うまく演じることができました。それは先生の指導のおかげです。他にも大変お世話になったと思います。というか、なりました…」。息子らしい小学校最後の作文でした。

 

今日になって、さらにおまけがつきました。それは、某新聞社の昨日の夕刊に、息子が卒業証書を受け取っている姿が載ったというのです。教えてくれたのは、息子の同級生のお母さん。妻が早速図書館へ走り、記事をコピーしてくれました。あれだけ豪華絢爛な袴姿の子どもたちがたくさんいたのに、なぜ地味な装いの息子の写真が?本人も訝しがっていましたが、「きっとお父さんに似て、イケメンだからだよ」と答えると、まんざらでもなさそうでした。チャン、チャン。

 

 

 

 

 

author:日笠山吉之, category:-, 17:09
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